皆さん、世界のどこかでおはようございます!ツヨシ(@tsuyoshi)です。
ワーホリ2カ国目として入国したオーストラリア。元々は1年置きに色んな国でワーホリをして、色んな人たちとその生活を体験したいなあなんて思っていたが、トゥルルみたいなパンデミック、来る前に想像していたよりも魅力的だったオーストラリアでの生活が気が付けば4年目に入っている。
そんなオーストラリアに長期滞在したからこそ知った先住民、アボリジニ。そもそも渡豪しなければ、気にする事もなかったのかもしれない。今までもオーストラリア国内を旅行しつつ、色んな人と会話しつつ、歴史を聞きつつ、自分で勉強しつつ。先住民アボリジニと言っても凄い数の部族やそれぞれの言語があるわけだが、オーストラリアに滞在すればするほどに彼らの話がしづらくなっている。どれをどう表現すれば良いのか、一外国人としてわからなくなってきた。
そんな僕の体感でのオーストラリア先住民に対して思っていることを話そうと思う。
※僕の気持ちに一切の差別や偏見はないが、もし嫌な気になったらブロックしてからページを閉じてくれたら良い。
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Contents
アボリジニではない日本人
オーストラリアに来て、割と直ぐに先住民アボリジニという存在は耳に入った。理由はところどころにある国旗から。あの旗なんだろう?と聞いたところから始まった。
正直滞在始め頃は、今でも先住民の歴史を残していてクールだと思った。でもそれは違った。僕のオーストラリア初期の記事を今振り返ってみると、あまり良い書き方をしていないと思う。当時の記事を今見たら、色んな方面から怒られるような安易的な表現もしていたと思うが、長期滞在した僕の当時の感覚なので、敢えて記事は消さない。
何故こんな記事を今回書こうと思ったかと話すと、僕がアボリジニアートをタトゥーとして残そうと相談したことから始まる。知っている人や、過去に彫ってくれた人に相談すると、全断りされた。
ダーウィンに行った時に仲良くなったアボリジニ出身の人たちと一緒に仕事をしているオージーの友達に聞いても、あまり良い感触はなかった。
“あなたはアボリジニではないでしょう?それはディスリスペクトだよ。オーストラリア人の私たちが日本が好きだって言って、全身ヤクザみたいに和彫してたら良い気しないんじゃない?”
これは僕には納得というか、しっくり来なかった。僕は深い思いを持たずに来たオーストラリアが好きになって、想定よりも長く滞在していて、何なら永住したいとまで考え始めていて、そんなオーストラリアの悲しい歴史も知って、もっと知りたい、もっと関わりたいと思っての行動だったが、それは先住民からすると、余計なお世話で、今現状で先住民との関わりもない日本人がアボリジニのアートをタトゥーとして持つことは違和感でしかなかったらしい。話をして、よく理解した上で諦めた。
和彫の例は恐らく日本人では頷けないが、想像するに、”海外の友達が僕の実家に来て、仏間でこの部屋カッケエな!って言いながら踊って、おりんにビール注いで飲んでる。”みたいな違和感なんだろう。
オーストラリアデイにて先住民とオージーと外国人とで温度差があるのもよく理解できるし、ところどころに先住民の旗があるのもよく理解できる。オージーの人ですら、生まれも育ちオーストラリアだけど、それは英語での名前。ここはアボリジニの土地だからビジターだっていう人がたまにいる。
そんな彼女が言うには、日本は歴史が長いから、この土地とは感覚が違う。アボリジニの一部の人たちは今でも怒っている。とも言っていた。
その国で生まれて、育ったけれど、その国の人、その国の人じゃない人がいるって感覚を持っている現地の人。文化ってのは共感しずらい。
文化ってのは自国では理解しずらい事
僕は自国では理解しずらい事のことを文化と呼ぶと思っている。
日本はアニメ文化だ!寿司文化だ!相撲!茶道!カラテ!もちろん全部日本の文化ではあるが、じゃあ僕ら日本人は何度相撲をとったことがある?茶道のルールを知っているのか?アニメは毎週何時間程度見る?日本の文化だ!って。笑顔で我々の文化だって話すくせに日本人の当人が全然興味を持っていないの?って。
これはオージーだからサーフィンするよね?スパニッシュだからフラメンコするよね?関西人やのにおもろいツッコミせーへんの?レベルだとぶっちゃけ思ってる。
これらは確かに文化ではあるが、答える割に、実際に自分が触れていなかったりすると、若干の疑問を持っちゃう。とは言え人に寄る。例えば、毎日湯船に浸かるとか、靴で家に上がらないとかそういう当たり前の事が、海外の人からすれば驚くようなことが所謂カルチャーとして呼ばれるようにも感じる。
どこかの国では蜘蛛を焼いて食べるとか、芋虫を生きたまま食べるとか、馬の生肉に生姜と醤油をつけて食べるとか?逆に豚は食べないとか、歯を木の幹で磨くとか?
話を戻して、文化の差をオーストラリアと日本間で感じた。
オーストラリアの先住民
僕もあまり詳しくまでは勉強できていないが、220年以上前から先住民アボリジニから白人が大量虐殺をしつつ土地を奪った。122年前が “オーストラリアの” 建国記念日であり、先住民からすれば侵略記念日。
白人が奪った土地。僕らがオーストラリアで支払っている税金の一部は彼ら先住民へも支払われている。具体的な数字はわからないが、2週間に一度、生活できる程度の最低額をクォーターの血筋にまで生まれてから死ぬまで支給されているらしい。NTに訪れた時に感じた疑問、この人たちはどうやって生活をしているのかな?がわかった。僕も先住民の人と一緒に飲んだり、キャンプをしたり、少なからず遊んだことはある。でも一部では彼らがドラッグや盗みをしても、ナーナーになる場合もあったりって噂も聞いた事がある。
自国の数々の土地に、勝手に外国語で名前を付けられ、外国人の金儲けのために外国人がたくさん来て、外国人達が自然や風景に感動している。中にはマナーが悪い人もいて、そんな外国人に向けて、外国人がマナーを守れ!って注意喚起をする。そりゃ嫌だよな。
状況は違えど、僕はアメリカ人に対して、78年前を思い出せよ、お前らが攻撃した跡だろ!お前らは日本に来んな!とは思わない。だけど、だからと言って、オーストラリアの先住民に対して、もう怒るなよ!とも思わない。
そもそもアボリジニと呼ぶ事自体に差別だ!と感じる人もいる。僕のことを知らない外国人にアジア人と呼ばれても気にならないが、韓国人ですか?とか中国人ですか?みたいな聞き方をされると失礼だなぁとは思う。けれど、ある程度の〇〇人系って枠組みは必要かとも思っていて、必ずしも差別になるとは思っていない。繰り返し、アボリジニって呼ばれても何も思うな!とは思わない。
350年後に人類の歴史を調査した時にわかるのは、HE/SHEかであって、アジア人系か白人系かラテン系などであって、オーストラリアの先住民かであって、大枠の枠組みとしてはあっても良いと思う。繰り返し、差別的であったり偏見なことは何も思っていない。
先住民、部族、原住民と現代
そんなことを感じている最近だからか、こんなニュースが目に止まった。ニュージーランド、インドネシア共に文化も歴史も知らないので尚更にコメントしづらい。でも、先住民と部族と原住民と現代。それぞれにいろんなギャップがある。日本だってそう、海外の人たちが観光地先として見えている日本と現地の僕ら日本人から見えている日本とでは絶対にギャップがあるから。
そしてこんなニュースも見掛けた。もちろんノーコメント。
それでもこの国を知りたい
オーストラリアには当然、色んな国から人が来ていて、生活を共にしている。現地で生まれたオージーですら、土地の所有者と生活を共にしているって認識している人もいる。日本で生まれ/育った僕からするととても興味深い。文化ってのは興味深い。
こういった感覚は文化の違う場所に飛び込んでみたから、わかることではあるが、必ずしも飛び込まれて喜ばれる とも限らない。
もっと知りたいし、触れてみたいって気持ちはあるが、毎度喜ばれるわけではない。って体感が、少しづつ声に出しづらくなってしまっているのだと思う。外国人である僕からするとどの距離感でどうすれば良いのか少しだけ分からない。それでもこの国をもっと知りたい。