皆さん、世界のどこかでおはようございます! ツヨシ(@tsuyoshi)です!
今回は二ヶ月半のキャンプトリップ記事の途中ですが、最近よくインスタから質問を受けるので、今回の旅で感じたことも絡めながらお話ししようと思います。
‘今の僕のマインドに与えたインスピレーションはどこから’
って質問がちょくちょく来るので、それについて話そうと思う。
それと、中には子供が留学やワーホリに行くと言っているのですが…って質問も良く来ます。読んでくださっているみなさんの大半はプレイヤー側だとは思いますが、僕のスタイルについて共感くださっている方が中にいるのなら、友達や親御さんとの話の一つとしてこの記事を見せてあげてください。
出発日のみを決め、期間も目的地もルートも決めずに出発した今回の旅は結果的に10週間でセービングがなくなり、終了しました。帰った時、100ドル以下でしたね。本当にギリギリ。笑
当然10週間は働いておらず、内5週間ほどは電波のない場所、更に内3週間程度は電波も水もない場所で過ごした。
社会との繋がりという言葉は仕事をすることで成立するようにも感じられますが、電波がない、場所によっては水もない、人工物も少ない、太陽と地面と自分と影しかない。みたいな場所で何日間も過ごすと、本当の意味でオーストラリアの社会からも離れいた期間のようにも感じました。
社会や時間軸、オンラインの束縛から離れて改めて感じたことがある。
結局、楽しく生きたやつが最強!って事。
一人であらゆる制限との距離を置き、過ごした上で感じたマインドを話そうと思う。
今後、留学やワーホリ、海外へ出ようと考えている人の参考になればいいなと思います。
当然、色んな人や場所などから影響をもらっていますが、今回は高橋歩さんから貰った影響を中心に話そうと思う。
僕は高橋歩さんはオンライン上での情報でしかまだ知りませんが、すごく面白い人です。帰国した際にはこの本を直ぐに購入しようと思っています。
今できるわけが無いことは来年の俺にはできない
今となっては全く共感ができないんですが、
何年後に起業する!とか、来年の何月から留学に行く!とか、キリの良い年度末に仕事を辞めるだとか。何故か、目標設定することが正義且つ出来る人みたいな風潮を感じる。
もちろん、具体的な数字があった方が明確だし、進歩がわかりやすい。僕の指摘は仕事を辞める時期のキリや留学に行く年のキリって感覚が今では共感できなくなっています。
僕は今にフォーカスしているので、思った時がやる時かなと。
プラス、僕は天才じゃ無いから、今できるわけが無いことは来年の僕にもできないと思う。そうやって過ごした今年が終わり、来年もまた同じことを思うだろう。
だから、今やったれ!と思うようになった。
ネイティブインディアンの言葉。
“コントロール出来ることは頑張って、
コントロール出来ないことは忘れて、
目の前のことがそのどちらなのかを、
見抜く叡智を持ちましょう“
同じことが起きてもコントロール出来る人とできない人がいる。個人差がある。それにコントロール出来る場面と出来ない場面。
その自分の立ち位置を知ろうって事。
なので、今やったれ!とは思いつつも、どう頑張ってもどうしようもない事は諦める。まだ手があるなら全力でやってみる。
無知の知を知る、知見。海外へ出る意義は必ずある。地元ではない土地で、地元ではあり得ない世界線を現地の人と過ごす。
これは決して、’視野を広げる’ではない、知見です。これをリスペクトと呼びます。
英和辞典通り、尊敬しているをリスペクトとも呼ぶのもリスペクトかもしれないが、色んな当たり前を知り、受け入れることが僕にとってのリスペクト。
色んな世界を見ることで、視野は広がります。無知の地を知り、相手を受け入れることでリスペクトを学べます。
何でも賛否のある話の片方を聞くと必ず否定は多く出てくる。
え?宗教くさい。で我々は日本人でしょう?
それでも僕が思うに、ことわざや哲学は信用できる。
どうやら世間はどこから生まれた言葉なのか、ナニ人が言ったのかが重要らしい。
まあそんな話は置いておいても、僕が思うに大切なのは本人の感想。本人の感想を大切にするべきだと言うのが僕の感想。
自己表現と社会の評価
- 分かっていない
- 自己満足
- そんなに甘くないよ
- どうすんの?
- わかってるね
- 私もそうしたいよ
- 大変な経験もしてることでしょう
- 将来が楽しみね
僕らという生活者にくっきり相対する評価があるもの面白い。笑
僕が海外に出て、感じたのは、どう頑張っても親の影響が大きいと言うこと。
ライトなものだと、僕の親はあまり音楽を聞かないし、映画も見ない。僕も映画は見なくもないですが、俳優名なんかは分からないし、ラジオ派なので音楽はあまり聞かない。
結構、世界共通の音楽の話についていけない場面が多かったりもする。
それに生活に関しても言える。僕の親は基本的にフリーな親だった。子供の頃からあまり反対されることがなく、やりたいならやれば?行きたいならいけば?って感じ。子供の頃からあんたの人生だから任せる!ってことが多かったと振り返る。
僕が今まで話してきた外国人の友達はよく言っていた。親は子供のチャンスを伸ばすべき。自分の時代はそうだったからと制限をかけるなら、残念だけど、親を無視だよ、と。
仕事、結婚、生活感などの所謂、マジョリティの押し付けというか、多数派との比較みたいなのは確かに日本は強いようにも感じる。
昔、何かで読んだんだけど、子供が花を摘んで遊んでいるところに親が
‘お花も生きているんだから、お花で遊ぶのはやめなさい’
と注意し、未来の植物学者の芽を詰んだ。って皮肉。
まあ、僕は子供はおろか、結婚すらしていないので、状況は変わるのかもしれませんね。
とは言え、闇雲に海外に出ればいいとも言いませんし、海外に行ったとしても何にも変わらない人もいれば、大きな影響を更にもらう人もいれば、実は現地の人に与えられる影響力ってものある。
それでも、今の生活の闇に少しだけでも光が当たるチャンスがあるなら、海外に出る価値はあると思う。日本以上にその機会が多い。
それこそ今までの人的キャラクターやカーストの立ち位置なんか関係ない。英語の話せない日本のいじめっ子のイケメンよりも、いじめられっ子が英語を話せると断然友達のできる速度が違うからね。いい意味でフラットになるよ。
それとネガティブには取ってほしくないんだけど、僕を含めた不良(優秀になれない人って意味)にも一度は海外を見ておくといいと思う。もちろん、一口に海外と言っても日本以外は海外なので、どこに行くのかでも感想は変わるけどね。笑
そんなふうに僕は思ってる。
僕にとってのハッピー
僕は色んな場所から影響を受けているが、一つに偏ったりはしない。何にでもポジティブとネガティブな要素があると思うので、自分で良い!と思った部分だけをピックすれば、僕にとって最もハッピーが手に入ると思っている。
例えば、僕は幸せをADDすることを減らしている。
- たくさん仕事があって
- たくさん貯金して
- たくさん好きな人と関わって
って人生は幸せそうに聞こえるが、
- たくさんフリータイムを削って
- たくさんお金の心配をして考えて
- 中には嫌いな人とも関わるだろう
と同時に思ってしまう。
だったら、ネガティブを排除する方が幸せなのではないかと僕は思った。
- 必要最低限の仕事をして
- 必要以上にお金を稼がずに
- 嫌いな人が居ない環境へ移る
そうすれば、自ずと不幸が減るように思う。
- たくさんのフリータイムがあって(時間は有限)
- お金の心配と束縛から逃れられて
- ずっとじゃないにしろ、好きな人が周りにいる時間しかない
だから仕事内容も、職場環境も、住む地域性も全て、僕が気に入らなかったらその時に僕は抜ける。
徹底的にネガティブを排除する。思い付いたら、行動。今にフォーカス。
これを日本語では逃げ癖と呼ぶそうですが、僕にとってはなんとも言えない幸せなんです。
結局、僕の上に立つ物はない。
なにせ、楽しく生きたやつが最強ですから。