皆さん、世界のどこかでおはようございます!ツヨシ(@tsuyoshi)です。
オーストラリア大陸をロードトリップ!今回はGlen Innes!グレンイネスはニューイングランドエリアでもあって、僕のお気に入りのエリアでもあります。それなりの人口が居て、若干内陸部。周辺には自然動物や国立公園が多い。更にはガソリン含め色々が結構安い。僕も何度もこの周辺には来ていて、特に夏のスクールホリデーなんかではメチャクチャ多くのキャンパーが来ている。体感では海沿いのキャンプ場よりも 人との距離が近く、キャンプ場に行くと、みんな声を掛けてくれて、みんなお酒やご飯をシェアしてくれる。そんな田舎キャンプ!で僕のお気に入りのエリア。
Glen Innesはオーストラリアの歴史を感じられる街の一つ、時間があったら立ち寄ってみてほしいし、特に最後のまとめは読んでほしい。
まずは、Glen Innesの街のお話から。
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Glen Innesという街
若干内陸に入るとグレンイネスはある。ここへ行く途中にも多くの国立公園や滝がある。南部海沿いから逆コの字に回れば、滝が流れるウォーターフォールウェイから入って、南半球の桜と呼ばれているジャカランダが有名なグラフトンへ抜けられる。ロードトリップという響きにぴったりなコースにも思える。ただこの周辺の国立公園はエントリフィーが掛かる場所もあるので確認してください。なお、僕は年パス所有!
そんなグレンイネスは6,150人程の人口、僕がここ2年滞在しているLennox Headと同じ程度の規模感。とは言え、ビーチタウンと内陸部では街のバイブスってのは結構異なる。
西洋人の入植前はNgaraba族が所有していた土地、その後ニューイングランドエリアの中心地にしようと、道路を作り、1880年代にはシドニーとの鉄道も開通し、この周辺では栄えた街となり、その名残が皮肉にも、今でも残っている。あとで写真と共に紹介する。
僕も訪れたことがあるが、シドニー北部のモスマンとはそれらの関係で、双子の街ともなっているらしい。
早速、グレンイネスを旅していこうと思う。
Glen Innesを旅して
これら道はグレンイネス周辺。街に入る前の国立公園への道。一本道が何十キロも続いている。道に迷う心配はないが、この道が違ってたら?と少しだけ心配になる(笑)
特に日が登る前の朝は、低い場所に霧ができる。アップダウンな道を走っていると、霧を抜けて、霧に入ってと割と楽しい。それに牛、羊など多くの動物が放牧されている。ゲージはあるがどこからか抜け穴を見つけては道路に出てきちゃってる。笑 そんな道と景観はアクロス(Black&White)でもよく映える。
それでは早速街に入る。最初に目に留まった教会の写真を撮ろうと思ったら多くの鳥が丁度飛んできた。それだけで雰囲気はホグワーツになる。この表現は若干嫌味になってしまうのかも知れない。
こちらも教会。街中にある教会の多さが気になった。調べてみると2016年の調査では、住民の29%が聖公会さらに21%がカトリック。聖公会が中間なのでどちらに偏っているのかはわからないが、小規模ではなく、立派な教会がどうしても目に付く。
街の中心部へ行くと、グラフィティを見付けた。牧場と犬と牛と馬に跨る男。まさにこの街を象徴しているのだろうと想像ができる。
そして街へ。この少しだけの街の様子からもオーストラリアの田舎に住んだことがある人なら、ある程度の規模なことが想像できる。
必要最低限は困ることのない規模。QLDのファームタウンに例えるとStanthorpe程度。
街のランドマークの市役所。1887年と書かれている。丁度シドニーとの鉄道が開通した頃。ここからも街の発展が始まった歴史を汲み取れる。
街の中でも大きな古い建物はコールス。
そしてラウンドアバウト。この写真からも街が1本道として栄えている街だということがわかる。この表現もオーストラリアの田舎に住んだことがある人には伝わるだろう(笑)
そして極め付けはマック、いやマカス。イコール最低限が揃っている街の証拠だろう。
そして街を出発し、次の目的地へと向かう。今夜はGuy Fawkes River国立公園でキャンプして、明日は朝日を見よう。そうやってオフロードの中、車を進ませること40分。‘4×4 ONLY’の文字と共にしまっているゲート。
おいおい、嘘だろう…。何とかUターンし、戻るも 暗くなってきたので、ここでギブアップ。それにしても星が綺麗だ、ここが今日のキャンプ地です。
Glen Innesを訪れて
(西洋人に決められた)オーストラリアの建国は1901年。この街の歴史は1887年。その頃にこのエリアでの主要な街にしようと開発された街。でも現代を見る限りこの街がそうはならなかった。
Ngaraba族の土地ですが、勝手に自然を破壊され、追い出されて、開発され、使われなかった土地。オーストラリアがオーストラリアになるよりも前にオーストラリアになる準備をされていた街。
そんな歴史があってか、立派に建てられた建物が市役所、スーパーなどに使用されている。とは言え、周辺と比較すると圧倒的に人口の多い街。そんな歴史を知らずに安易的に、昔の建物を残してるんだなんて歴史を感じる~みたいなことが言えない。
繰り返しになるが、オーストラリアは滞在が長くなるほど、人や歴史を知るほど、口が籠ってしまう時を自分自身でも感じる。